走ることにピラティスはどう役立つか?元日本代表ランナー市河麻由美さんに聞く

世は空前のランニングブーム。都内の大きな公園や皇居の周りは、毎日カラフルなウエアに身を包んだランナーたちで溢れている。もちろん自分なりの走り方で楽しむのもいいけれど、より速く走るため、そして長く健康に走り続けるためには、正しいやり方で走る必要があるだろう。

日本代表としてマラソンの世界選手権にも出場した市河麻由美さんは、現役引退後はランニングアドバイザーとして、主に市民ランナーの走り方指導にあたっている。そしてその指導には、ピラティスを取り入れているという。ピラティスは走ることにどう役立つのか。市河さんに聞いた。

怪我続きの現役時代。引退して出会ったピラティス

ランニング初心者からプロ顔負けの本格派ランナーまで、幅広いクライアントのランニング指導をしている市河さん。ピラティス指導者の資格を持ち、そのエッセンスを走り方指導に取り入れているというが、現役時代はピラティスのことは全く知らなかった。

「当時のマラソンのトレーニングは考え方が古く、たくさん距離を走れば速くなるという根性論が主流でした。そのせいで私自身も、現役時代は常に怪我に悩まされてきました。ヘルニアに足の裏の粉砕骨折、痩せすぎていたがゆえにマッサージの圧力で両方の肋骨を骨折したこともありました」

そうした古いやり方に疑問を抱きつつも、当時はそれに代わるものがなかった。引退後、スポーツクラブで初めてピラティスと出会ったが、現役時代に課されたハードなトレーニングが身体に染み付いており、汗ひとつかかないピラティスの良さが、最初は全く分からなかったという。

だが、何回か続けていくうちに、それまでやってきたトレーニングとは違う何かに、徐々に気付き始めた。

「やるたびに自分の身体に対して気付きが得られるし、精神的な気持ちよさもある。米国のパーソナルトレーナーの資格も持っているのですが、ガシガシと筋肉を鍛えるのは自分の考え方とは違う。その点、ピラティスであれば走りながら身体のケアもできると思い、指導者の資格を取ることにしたんです」

正しい走り方を身につけることが怪我を減らし、タイムを縮める


市河さんが主宰する「ランナーのためのピラティス教室」を訪れるのは主に、次の3つのテーマのいずれかを抱えた人という。

ひとつは、速く走りたいけれどなかなかタイムが上がらない人。ひとつは、身体が硬くて慢性的な怪我に悩まされている人。もうひとつは、これから走り始めるにあたって、どんな走り方をしていいか分からないという人だ。

タイムが上がらないという人も、怪我が多いという人も、結局は間違った走り方をしている人が多いと市河さんは言う。

「日常生活の姿勢が悪いことが原因で、効率の良い走りができない人がほとんどです。だから指導はまず、ピラティスを通じて日常生活の正しい姿勢を覚えてもらうところから始めます。すると自然と正しい身体の使い方が身に付き、走りもきれいになり、結果的に走る速度も上げられるようになっていきます」

間違ったフォームとして特に多いのは、お腹の力が意識できずに、腰が落ちた姿勢のまま走っているパターンだ。足だけで走ることになるからタイムはどうしても上がらないし、無駄な負担ばかりかかるから怪我も多くなる。

そうした人に対しても、「ズボンのチャックを閉めるようにお腹を引き上げて」というピラティスではおなじみのキューイングが、腰を高く保った正しい走り方を伝えるのに有効という。

記録が伸び悩んでいた50代の男性が、ピラティスを始めたことでサブスリーを達成した例もある。練習量が増えていないのに、ピラティスで正しいフォームを身につけただけでタイムが上がる。そのことに驚く人は多い。そうやって上達していく人を見るのが、今の市河さんにとっての何よりの喜びだ。

「現役時代は私も自己流だったので、走り方について人に質問されても、感覚的にしか説明することができなかったんです。ピラティスの指導者になるにあたって筋肉や骨盤の構造を学んだことは、分かりやすく説明する助けにもなっています」

心のゆとりが走りのパフォーマンスを上げる

今ではマラソン界のトレーニング事情も刷新されていて、青山学院大をはじめとして体幹トレーニングを重視しているチームは多い。大会会場へ行けば、ストレッチポールとマットを持ち込んでいる選手の姿もたくさん見かけるようになった。

ピラティスがこれだけランナーから受け入れられているのには、「体幹トレーニング(あるいは身体の正しい使い方を学ぶ方法)としての側面に加えて、ランナーの精神面に与える好影響も大きいのではないか」と市河さんは見ている。

「自分の現役時代は周りは全て敵だと思って常に戦っていたので、自律神経がいつも過敏になっていました。また、マイナス思考になって、ゴール前で失速することを恐れて積極的なレース運びができない課題もありました。でも、今振り返れば、調子が良い時ほど余計なことは何も考えておらず、レース当日が早く来てほしいという心境になっていた。世界選手権に出た時も不思議とプレッシャーは感じなかったし、精神的なゆとりがパフォーマンスに与える影響は小さくないと思います」

だが、持って生まれた性格を自分の意識だけで変えるのには限界がある。そこで有効なのがピラティスだ。身体に意識を向ける事で、客観的に自分を見ることができ、精神のコントロール力を得られると市河さんは言う。

27歳の若さで引退することを決意した直前は、走ることが苦しくて仕方なかったという市河さん。「全てがピラティスのおかげというわけではない」とは言うものの、それから10年ほどを経た今では、走ることを再び自然なこととして受け入れられるようになった。現役当時の市河さんがもしもピラティスと出会っていたら、あるいは選手としての人生がもう少しだけ伸びていたかもしれない。

ブームで終わらず、一生健康に走ることを楽しめるように

「日本人の美意識がここへきて変わってきている」と市河さんは言う。

「昔は女性が憧れる体型といえばとにかく細い身体だったけれど、筋肉を伴ったたくましい痩せ方が流行ってきています。中高年の健康意識も高まってきていて、お腹が出ているのは昔でいえば富の象徴だったけれど、今では自己管理ができていない、つまり仕事ができない人と捉えられるようになった。いい傾向だと思います」

そして、そうした健康が最も手軽な形で手に入れられるのが、ランニングというスポーツだと市河さんは続ける。市河さんの元を訪れる人の多くはやはり、タイムを縮めることを目的としている。だが、指導する市河さんが望むのは、それ以上に怪我を減らして、とにかく走るのを楽しんでもらうこと。タイムはその結果として縮まるのが望ましいと考えている。

「私自身も現役時代に怪我で走れない経験をして、お金じゃ買えない健康の大切さを知りました。そして、身体が元気でなければ心も元気ではいられない。ランニングとピラティスを通じて、これからも一人でも多くの人の健康寿命が延びることに貢献していきたいですね」

text by Atsuo Suzuki

市河 麻由美(イチカワ マユミ)さん
元三井住友海上火災陸上部マラソンランナー。1999年に世界陸上出場、2000年には北海道マラソン優勝などトップランナーとして実績を残し、2003年春に現役引退。NSCA公認パーソナルトレーナー、JAPICAマットピラティスコーチの資格を取得し、現在はランニングアドバイザーとして市民ランナーを中心にピラティスを使ったランニング指導を行っている。日本陸連公認コーチ

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